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2023年7月17日 (月)

勝手に妄想『ゴジラ(1954年作)』の裏設定

 今年の11月3日に公開が予定されている『ゴジラ -1.0』が話題になっている。第1作(1954年)よりも前の年代が設定となっているらしい。
 どういう展開になるか注目されている。

 そこで『ゴジラ(1954年作)』の裏設定を勝手に考えてみたい。
 『ゴジラ』では、ゴジラの迎撃にあたって、在日米軍がどうのこうのというようなことは描かれていない。しかし、国会で山根博士がゴジラが核実験の影響で放射能を帯びていることを報告するシーンでは、大山代議士がそのことを公表すべきではないと意見表明している。理由は「ダダでさえうるさい国際問題がいったいどうなるか」ということだった。これは、当時核実験を行っていたアメリカなどの国を意識しての発言と思われるので、アメリカを意識していなかったということはないのであろう。『ゴジラ』が公開された1954年は、サンフランシスコ講和条約締結、最初の日米安保条約が締結されて3年、そして自衛隊が発足した年である。在日米軍が存在しており、自衛隊はフリーで行動できたとは考えにくいが、そういったことは全く描かれていない。外国からの調査団が到着するシーンは描かれているにもかかわらずだ。
 映画を製作していた人たちは、当然、戦争を経験した人ばかりである。監督の本多猪四郎さんは、召集により中国戦線に陸軍軍人として出征している。この時代の人たちにとって、自分たちの国は、自分たちで守るものであって、アメリカ軍に守ってもらうものという発想はなかったのではないかと思う。だから、ゴジラが上陸するにあたって、それを防ぐのは日本人の手で行うことであり、アメリカにお伺いとか、助けてもらうとか、そういう問題ではないという考えであったのではないかと思う。
 しかし、現実はGHQによる占領が終了した後も、安保条約により米軍が日本国内に存在しているのである。それを描かないのは、リアルではないという批判を受けかねないのはなかったか。
 で、私が考えた裏設定というのを述べていきたい。
 日本は、原爆を投下され、戦争には敗けたが、陸海軍は解体されなかった。文民統制は導入されるものの、兵器の開発、国産に関する権限は制約され、アメリカから輸入しないといけない状況というもの。
 登場する兵器類がアメリカ製だということ、ゴジラ撃退のために兵器を使用することに迷いがないことの説明がつくのではないか。
 のちに怪獣大戦争マーチに発展する「ドレミファミソレソドレミファミミレ」のマーチと、ゴジラのテーマとして有名な「ドシラドシラドシラソラシドシラ」がどちらもゴジラを迎え撃つシーンに流れる曲だが、前者が海のシーンに流れるのに対して、後者が陸上のシーンに使われている。前者が海軍のテーマ、後者が陸軍のテーマとして考えるとしっくりくる。隅田川から東京湾にゴジラが去っていく際に、F86セイバーで攻撃するシーンは、空軍ではないかと思われるかもしれないが、帝都の防空は陸軍航空隊の担当であったことを考慮すると、完全に使い分けられているといえるのではないだろうか。
 ゴジラによって破壊された東京の街を映すシーンに流れるBGMが「帝都の惨状」というタイトルがあてられていることも、この妄想が当たらずとも遠からずということではないだろうか。

 次の『ゴジラ-1.0』で上記の要素が入っていたりすれば、妄想ではなくなるかもしれない。

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